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矢矧晴一郎先生のプロフィールを少しだけ紹介すると…

コンサルで500億円以上稼いでいる日本一の経営コンサルタント
トヨタをはじめ上場企業の売上トップ10の企業、半数以上を
コンサルティングした実績を持つ。
一社のコンサルフィーは5000万円、リムジン・ヘリでの送迎がくる待遇
日本で初めてボストン・コンサルティング・グループに入社。
   世界の天才が集う集団の中でも一番企画書を書くのが速かった
アメリカに留学したときに、日本の宝が流出と週刊誌に騒がれる
日本で初めてロボットを作った
出版数200冊以上!総計10億円の売り上げ!i
アメリカ留学時代ハーバード、MITの図書館の本を二年間で全冊読破
ビルゲイツにも15回以上会っている。
人脈はソニーの井深氏から東急グループ後藤会長まで幅広く
今も現役で上場企業数社のコンサルタントとして活躍中

この異例な実績を見て、あなたは驚かれたかもしれません。
しかし、ある一人の人間が成し遂げた真実なのです。

もしも、あなたが「Top1%のコンサルタントにほぼ完全無料で相談する」ことに
興味があるのなら、6分だけこの手紙を読んでみてください。

本人に聞いたほうが一番早いので、矢矧先生に直接お話していただきましょう。

78年間ひた隠しにしてきた、秘密を包み隠さず公開していただきます。

矢矧晴一郎
はじめまして、矢矧晴一郎です。

私は、株式会社矢矧経営研究所
代表取締役社長をしています。

現在は、78歳ですが、
現役のトップコンサルタントとして、
上場企業数社のコンサルを行っています。

 私は、いままで世界トップクラスの人間と共に仕事をし、 一流の企業だけをコンサルしてきました。

 そして、いつもトップの方々と極秘の任務をこなしてきました。

矢矧晴一郎 (やはぎ せいいちろう)

1951年慶応義塾大学経済学部卒業。同年富士銀行本店入行。
その後、米国のコンサルティング会社であるボストン・コンサルティング・グループにおいて、主任研究員として米国、欧州、日本の企業に対する経営コンサルティングに従事した。
1980年(株)矢矧コンサルタント、1996年(株)矢矧経営研究所を設立し、代表取締役社長に就任。現在に至る。一橋、慶応、早稲田の講師文部省、郵政省、通産省、厚生省の委員を務め、我在はパーソナルコンピュータユーザ利用技術協会理事日本オペレーションズ・リサーチ学会会員を兼ねる。

1996年10月通商産業大臣賞受賞。
1997年11月韓国財閥系企業より経営指導および会社発展の貢献により感謝碑を受ける。

主な著書として、
「マルチメディアをどう事業化するか」 日本能率協会マネジメントセンター
「ホワイトカラー生産性向上のための業務革新」 日本能率協会マネジメントセンター
「中長期経営計画の策定と実行手脈」 日本経済新聞社
「21世紀企業構築プランニング・ガイド」 日本能率協会マネジメントセンター
「経営戦略策定マニュアル」 日本経済新聞社
「企業ビジョン策定プランニング・ガイド」 日本能率協会マネジメントセンター
「戦略痛が会社をダメにする」 日本経済新聞社
「勉強は技術」 日本能率協会マネジメントセンター
「中長期経営計画プランニング・ガイド」 日本能率協会マネジメントセンター
「事業革新の戦略」 ダイヤモンド社

 私の人生には色々なドラマと挑戦があり、時には体を壊したり、悲惨な目にあうこともありましたがこうやって今もなお元気に挑戦を続けています。

 私が、このサイトを立ち上げた理由はとても単純です。

 半年5000万円の契約を得て行っていたコンサルタントのノウハウ、そのすべてを包み隠さず公開しようと決めたからです。

 そして、すべての人が問題や悩みを解決できるようになってほしいからです。

 「でも、たったの6分でビジネスの問題が解決するなんて、ありえない・・。」

 という声が聞こえて来そうですが、心配要りません。

 私が、トヨタをはじめとする一流企業のコンサルをする上で、トップの社長は、忙しくて時間などないのです。そこで、私は「たったの6分ですべての問題をクリアにして、実行にまで落とし込みができる方法」を開発したのです。

 一流ほど、時間には厳しいのです。ですが、私はその中で、実績を叩き出してきたのです。

 「でもなぜ、トップ1%のコンサルタントが秘密を公開しようと思ったのですか?」

 はい、私は78歳になり、親友が亡くなったり、友人がどんどん死んでいくのを見ていって、このままではいけないと思ったのです。確かに、私は自分で言うのもなんですが、成功したと思います。一流の企業のコンサルをして、「自由なお金」「やりがいのある生活」を手に入れました。

 しかし、私は死を前にして、自由な生活・幸せな暮らしに安心してしまい、この秘密のノウハウを公開せずに死んでしまえば「後悔する!」と思ったのです。そう思ってからは、いままでトップの人間にしか明かさなかった秘密のノウハウを、一般のかたにも、ほぼタダ当然で、この方法をお伝えしていこうと決意したのです。



 あなたは、もしかしたら、私のことを「雲のような存在」「ダヴィンチのような天才」と思ったかもしれません。その気持ちはありがたく受け取りますが、私の人生はまさに失敗と挫折の繰り返しだったのです。

 私は、昭和4年(1929年)に東京の下町で生まれました。生まれも育ちも、ちゃきちゃきの江戸っ子です。私の家はわりと恵まれていました。初孫でしたから、おじいさん、おばあさんに大変かわいがられました。

 簡単に言えば、私はお坊ちゃん育ちでした。「お坊ちゃんなんていいですね。」と思われるかもしれませんが、そう人生は甘くはありません。

 私が小さいころは給食がなかったので、学校にお弁当をもっていくと悪い友達がやってきて、こういわれるのです。

 「ヤハギ、今日ハムはいっているか?」

 必ず10時半ごろ、私がお弁当を温めていると決まってこう聞かれたのです。そして、いつもお弁当を取り上げられていました。そう、私は“いじめられっ子”だったのです。

 さらには、4歳のころに、小児麻痺にかかり、一時、手足がまったく動かなくなったこともありました。

 医者には、「この子は一生、手足の麻痺は治らないだろう」と言われたこともありました。しかし、ありがたいことに、麻痺は奇跡的に回復し日常生活に支障がないほど回復しました。

 ところが、後遺症が残ってしまったのです。鉄棒にぶらさがって懸垂をしたり、跳び箱を飛び越すことが出来ないのです。跳び箱は、手をついて飛び越そうとすると尻もちをついてしまう。極端に腕の力も足の力も弱くなりました。

 そのせいもあって、悪い友達に囲まれれば、ケンカにかなうわけがありません。いつも悔しい思いをしながら、「腕力」では勝てないからいつか、必ず「知恵」でやり返すんだ、そう心に誓いました・・

 
 私には“2つの幸運”がありました。

 1つめは、小学生を卒業した私は、慶応の中学校に入学できたことです。

 当時下町の小学校から、慶応に入学できる子供は、金銭的にも学力的にも、1人から2人しかいませんでした。これは僕の人生におけるまずはじめの幸運でした。

 中学に入学した直後戦争が起こり、僕の家は焼け、大変貧乏になったのですが、このときに幸運にも慶応に入ったことが私の人生をプラスに好転させたきっかけになりました。

 2つめは、私が住んでいた東京の下町には、新しい文化が大量に流れ込んできた場所だったことです。

 小学4年生のとき、上野の美術館で「レオナルド・ダヴィンチ」展がありました。僕はそれを観に行き、子ども心にものすごいショックを受けました。

 「世の中には、彫刻も絵も発明も、全部出来る人がいるんだ!」「自分も大きくなたらこうなりたい!」 と子ども心に決意をしたのです。

 子どもの決意だからといって馬鹿にしてはいけないものです。あとで話すことになりますが、事実、78年の人生をかけてこの夢を叶えたのです・・・

 

 昭和20年3月10日の深夜、アメリカの爆撃機325機が、1665トンの爆弾を積み、東京上空へやってきました。それから0時18分からの明け方の3時にかけて、恐ろしい爆撃が続きました。

 「日本人の家は、紙と木で出来ているから焼いてしまおう」と、アメリカは非人道的極まりない爆弾を造り、その爆弾を東京の上空から無差別に落としました。それによって、たった一晩で10万8000人の人が亡くなりました。

 祖母の焼けた遺体が、防空壕で発見され、叔母は全身に大やけどを負い、一命は取りとめたものの、一生火傷を背負って生きていくことになりました。

 僕が生まれ育った家は「全焼した」のです。中学1年生のときでした。

 家の中にあった金庫は、灰と化し白くなった姿をみて、私は、屋根も柱も壁も戸も何もかもが焼けてなくなってしまった・・自分の育った家がなくなり、自分が大切にしていたものが全てなくなったことが身にしみて分かりました。

 すべてを失ったこと、これがスタートだったのです。

 

 やがて終戦を迎えたころ、父が「病気」で倒れました。しかし、上野の家はすべて焼けてしまい休養できる場所などありません。父は、「体の許す範囲内で仕事をする」と東京を離れ、一家の負担はすべて母親にのしかかりました。

 戦争は、母の穏やかな日常を、「地獄」に変えました。愚痴ひとつこぼさない母と一緒に、私は常に耐えてきました。お金はまったくありませんでした。今日、生きるお金さえなく恐怖にかられる毎日でした。

 戦争前までちやほやされて、おかずだらけのお弁当を持っていたお坊ちゃんが、戦争を境に母と子の貧乏生活になってしまったのです。いつも、弟と二人っきりで真っ暗な家にいました。

 父は田舎に去り、母は働いていたので、子ども二人きりで過ごす時間が多かったのです。

 貧乏ですから、当然机などありません。木のみかんの箱をひっくり返し、それを机にして勉強しました。母がその細腕で、私を高校、大学へと出してくれたのです。

 

 当時、慶応大学経済学部の4年生だった僕は、就職活動をしていました。

 そのころの夢として、「大人になったら国際的な舞台で活躍する!」と強く心に誓っていました。

 私が受けたのは、銀行業界の当時ナンバーワンだった富士銀行 (現在のみずほ銀行) を受験することにしました。

 同じく慶応大学からは11名の学生が一緒に受験することになりました。仲間には「のんびりした顔しているから、矢矧が一番に落ちるだろう」と言われましたが、まったく気にしていませんでした。

 富士銀行の面接では、「あなたの成績は悪いですね」と言われ、その途端、私はムカッてきました。もともと落ちてもいいやという気持ちでいたので、言いたいことを言ってしまおうと決意し、私はこう発言しました。

 「悪い、と言うのは、平均以下の場合を、悪いと言うのではないでしょうか。私の成績は平均より上です。決して上位ではないですが、平均より上のことは明らかで、それをあなた方は悪いとみなすのですか。私はそうは思っていません。」

 それでも私は気が収まらず、「富士銀行は学校の成績だけを目安にして、人を評価するのですか。一人の人格を評価する場合に、学校の成績だけで評価するのというのは、あまりに狭すぎるのではないでしょうか。人間というのはもっと幅の広い深いものだと、私は思います。」

 「では、学生時代にどんな幅の広いことをしたのですか?」

 「はい、四年生になった春、私は大学生活が残すところあと1年しかないので、1年間大学の図書館に通うことに決めました。それから実際に、図書館にある本を端から端まで読んでいって、自分の専門外の、たとえば美術の浮世絵とか、そういうところまで幅広く身につけました。

 ハゲた面接官は、とても驚いてしまい、もう何も言いませんでした。

 私は、以上のやり取りからして、友達にはすっかりあきられてしまい、合格の自信はありませんでした。なぜなら、あとから聞いた話しですが、そのハゲの面接官は社長だったのです。さらに、富士銀行は東大卒の社員が多く、私立大学からの枠は、せいぜい1名と言われていたのです。

 しかし、その1名の枠に僕が合格した」のです。友人は「矢矧は、エリートコースに入ったな」と喜んでくれました。私は、「富士銀行の本店に入れた・・東大、京大と同列で入ったのかぁ」なんて、なかなか実感がわきませんでしたが、事実わたしは幸運にも不可能を可能にしたのです。

 

 ところが、また私はどん底に、まっさかさまに落ちました。富士銀行の仕事が始まってみると、22時、23時までの残業は当たり前でした。エリートの集まりですので、一瞬たりとも油断はできません。夕飯時になれば、職場の先輩たちは適当に誘いあって、食事に出かけていたようでした。しかし、新人の私には声もかけられず、なかなか周囲に馴染めずにいたのです。

 仕事は新人だろうと容赦なく、積み上げられていきます。食事をとらずに夜遅くまでの激務、それだけで十分に無理をしていました。しかし、若いものですからプライベートの遊びも思いっきり充実させようとしました。その結果、体に相当な無理が生じたのです。

 気づいたときには、肺に100円玉くらいの穴が開いていました。今と違って、「抗生物質」が手に入らなかった時代です。「肺結核」と宣告された瞬間は、頭が真っ暗になりました。

 医者 「手術を受けますか?」


私 「手術を受ければ治りますか?」


 医者 「わかりません。手術中に死ぬかもしれないし、手術を受けても治らないかもしれない。どちらもまったく保証はできません。あなたが受けたければ手術しますが、受けたくなければ、やめなさい。」


 私 「受けなければどうなりますか?」


 医者 「死にます」

 私は、生まれて初めて、自分自身に対する最も重大な決断を迫られました。手術を受けても治る確率は低い。それどころか、手術中に死んでしまうかもしれない。しかし、手術を受けなければそれは死を意味する。銀行から家まで、まるで夢遊病者のようにフラフラと歩いて帰りました。

 家に着くと、慎重に決断するための方法を考え、まず複数の医者の意見を聞きました。そして、6名の医者に相談をしました。3人が「手術を受けろ」といい、3人が「手術は危険だ」と言いました。3対3で、同点だなんて・・どうしたらのいいのか苦しみました。誰一人、相談する相手もおらず、僕は一人孤独に、自分に真摯に向き合い、「手術しないで死ぬか、受けて死ぬか・・それなら受けて死んだほうが可能性はまだある!」と思い、手術を思い切って受けることにしたのです。

 終戦直後のこの時代に、私は3時間もの手術を3回受け、ろっ骨を「6切り取りました。背中を切り開き、のこぎりで骨をギコギコ切るような手術です。麻酔は満足したものはなく、ほとんど効きません。とにかく、とてつもなく痛い・・。「あ、半分くらいまでいったな」とはっきりした意識の中で、医者がノコギリを引いている様子がわかるのです。

 長時間におよぶ手術は、僕から気力も体力も奪いました。食べ物がのどを通らなくなり、ついには水さえも飲めなくなってしまいました。3度目の手術が終わったとき、私は本気で死ぬと思いました。肺が思うように動かなくなってしまったのです。病室で苦しんでいる私の様子を見て、医者は「打つ手はありません」と、部屋から出て行きました。看護婦さんまでもが、「できることはない・・」といって出て行ってしまったのです。

 私は貧乏でしたし、母は働いていました。弟はまだ小さく、僕には誰一人、頼れる人はいませんでした。危篤というこの瞬間に、付き添う人も見守る人もいないのです。

 5時間たっても、あまりにも苦しいので、僕は親孝行をしたいと思っていましたが、これはもう無理だと思いました。そして、「死」を覚悟したのです・・。

 

 奇跡が起こったのです。昏睡状態だった私は、自然に意識が戻りました。目が覚めたとき、それまでの欲や迷い、ためらいがすっかり消えてなくなっていました。僕はいったん「もう死んでもいい」と、自分の人生をあきらめ、そして意識を失いました。そして、次に目が覚めた時、私の気持ちは岩清水のように澄み切っていました。

 不思議なもので、心が澄むと、逆呼吸も治っていました。「注射」もせず、当時は「点滴」さえもありませんでした。「薬」も飲ませてくれないし、「介護人」もいない。医者からも看護婦からも見離された中で、自力で意識を取り戻したときには、体の調子も良くなり、気持ちが澄んでいました。

 頑張って生きよう。僕は「生きる」気持ちを取り戻したのです。ところが、目の前には「過酷なリハビリテーションという壁」が待っていました。当然、そういうことをやる医者は当時いません。極端な薬不足、人不足、施設不足で、病院は最小限のことしかできなかったのです。

 リハビリの知識もなければ、制度もない。したがって、回復のための訓練は、自分自身でやるしかないのです。おかげで、私は2年間ほぼ寝たきりで過ごしました。足の筋肉は衰え、一人では立ち上がることさえできない。24歳の一人前の男が、自分の足で立ち上がることができないのです。死はまぬがれたものの、今度は精神的、身体的ショックから立ち直らなければなりませんでした。

 しかも、リハビリは「医者」も「看護婦」も家族も見守ってくれない、ただ「一人の孤独な戦い」です。ベッドの冷たい鉄柵につかまり、まずは手の力で立つ訓練をしました。立つことさえできないのだから、歩くどころではありません。立てるようになれば、今度は一歩を踏み出す訓練です。背中には手術の傷跡に激痛が走ります。体力がなくたった一歩さえも踏み出せない。

 そして、やっと一歩踏み出せた日のことは、今でも鮮明に覚えています。次に二歩目を踏み出す訓練を、また来る日も来る日もする。一歩ずつ一歩ずつ増やしていく。やがて私は、自分の病室からようやく廊下にでられるようになりました。わずか10歩ほどの距離です。本当にうれしかった。そして、そのあとは、廊下から病室の外へ。道路では次の電信柱を目標に歩きました。

 今日は、無理だ、とあきらめると、病室に戻って寝て、翌日、また同じ電信柱を目指して歩くのです。こうしてついには歩けるようになったのです。

 

1つめに、今までの矢矧晴一郎は、死んだことにしよう。
あたらしい矢矧晴一郎が今、生まれたのだ。すべて今までの自分と違った自分を創ろう。

2つめに、新しい自分は、全身全霊をささげ、自分のやるべきことをやろう
自分のやりたいことをやるのだ!

 

 この2つの決意をもとに、今までの矢矧とはまったく違った、遺志の強い人間になって社会に戻ってきたのです。 死の淵に立ち、リハビリという孤独な戦いを切り抜けた男。戸籍上の名前は同じでも、心の張りと頭の中の真剣さは、以前の10倍以上になっていました。晴一郎ではなく「凄十郎(せいじゅうろう)」とでも名づけたい気分でした。

 こうして、私の「第2の人生」が始まったのです。

 

 
 それからの私は、命の底からすべてに全身全霊で取り組みました。仕事に関しては、2年のブランクがあり、大変な苦労をしましたが、私はありとあらゆる知恵を尽くし、全力で勝負しました。上司からのいじめや、仕事をすべてとられてしまったり、当時のコンピューターを使ってチャンスをつかんだりと様々なドラマがありました。

 時には、財界使節団の幹事に奇跡的に抜擢され、日本の財界トップたちがアメリカに、大型コンピューターの勉強に行こうということになり、野村證券の「奥村綱雄」会長、副団長の一人にソニーの「井深大」社長、有名な東急の「五島昇」社長などの超一流の財界の権威たちとコンピューターを学びに使節団として海外へと渡ることもありました。

 富士銀行にも17年間勤め上げ、銀行をやめるときには強く引き止められましたが、国際化の波を予測していた私は、国際人になるためにも早いうちに備えなければいけない・・と思ったのです。一流の銀行にいれば、私の人生は安泰であったかもしれません。しかし、私には次にステージへの扉がすでに開いていたのです。

 仕事をやめてからは、私はアメリカのボストンへいきました。ボストンには、文科系と理科系の一流大学の図書館が、目と鼻の先にある、アメリカでも唯一の都市です。文化系は、ハーバード大学があり、理科系はマサチューセッツ工科大学があります。私が、富士銀行をやめたのは、国際人になること、海外の会社に勤めること、語学力を強化すること、ボストンの図書館で思う存分勉強をすると決めたからでした。

 その後、超一流の人間だけがそろう、ボストンコンサルティング会社へと入社し、事実TOPNo1の人たちとともに仕事をし始めました。たくさんのドラマがありましたが、想像を超えるほどに毎日が戦いでした。今、私が上場企業のコンサルタントをしているのも、ここで培った経験がベースとなっております。

 

 あなたは、「なぜ自分のことをトップNo1のコンサルタントだというのか?」、ここまで読み進めてきて、疑問におもったかもしれません。トヨタを含む一流の会社をコンサルした実績はもちろんのことですが、私にはある異例な経験があるのです。

 それは、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学の図書館にある本を、すべて丸読みしてしまったのです。名実ともに、世界No1の大学です。図書館にある本の量は数百万冊もあり、半端ではありませんでした。当然ですが、本は英語で書かれている洋書です。

 私は、ある作戦を立てて、本を2年間で、読破しきったのです。小さいころから、よく伝記を読むのが好きだったのですが、古来の偉人は図書館の本を丸読みした、というのがよく出てきます。私の中では、図書館の本を丸読みさえすれば、必ず成功するという確信があったのです。

 「では、どうやって、たったの2年間で両大学の図書館を丸読みしたのですか?」

 はい、結論としては、
「1日1メートル読めば、2年間で2つの図書館を制覇できる」
ということでした。
私は、初めて大学に行ったときに、メジャーで図書館じゅうの本棚の長さをすべて測りました。すべての測定値を合計すると、それぞれの大学の本棚が横幅にして約300メートル強あることがわかりました。図書館を2つ合わせて横幅約700メートルです。僕はそれを2年間の、730日で割りました。そしてこの答えを出したのです。

 私は、自分で決めたことをすべて実行に移し、実現してきました。国際的な活躍がしたいという夢は叶い、自分の会社を立ち上げたいという目標が出てきたのです。ボストンコンサルティングの仲間たちは、世界レベルに優秀な人間がそろっており、一人たりとも独立などしませんでした。一流の企業にいれば、独立する必要などないからです。高収入で、やりがいのある大きな仕事、社会的な地位と名誉も約束されていました

 しかし、私は、それでも自分で独立することを、望みました。小さいころにダヴィンチを目指した私は、ひとつのことにとらわれず、すべてのことに挑戦できるマスタープレーヤーになりたかったのです。一国一城の主になることで、私の戦う舞台はさらに広がりました。

 それからの私は、富士銀行本店での修行、死の経験、ボストンコンサルティング体験が爆発したかのように、すべての物事が面白くうまく進展し、驚くほどの成功を遂げました。コンサルで500億円以上稼いでいる日本一の経営コンサルタント、トヨタをはじめ上場企業の売り上げトップ10企業の半数以上をコンサルティング、1社のコンサルフィーは2000万円、リムジンやヘリコプターでお迎えがくる待遇という世界にまで上りつめたのです。

 「ではなぜ、どん底まで落ちていた矢矧晴一郎が、こんなにも急に成功することが出来たのか!?」

 はい、それは、私は、マッドサイエンティスト並みの実験、実験、そして実験を繰り返すなかで、ある秘密の方法を開発したからなのです。私は、その秘密の名前を、「YS」法と名づけました・・

 その秘密の方法を、日々のコンサルで使うことで、今までの成功を手にしたのです。実際にその方法を使ってみて、どんな効果があったのか?と思うかもしれません。そんなあなたに、その驚愕の黄金律「YS」法の効果をお教えいたしましょう。


~超有名企業がこぞって利用してきた究極の目標達成ツール~

 「YS」法を発見し、そしてその究極の方法を実践することで得た私の小さな成功をご紹介します・・

大企業のコンサル実績

 大企業向けの経営戦略コンサルタントとして活躍。特に、日本人としての独創的な経営戦略を考案し、応用した実績が高く評価される。

  1. 日本の24業績の売上高ベストテンの7割の会社のコンサルティングの実績がある。
    他のコンサルタントは業績や、業務に狭く、特化している人が多い。
    その中で、業績横断で経営問題の解決を行った点がユニークである。
  2. 経営者の高度の経営判断の否を出すため半年5000万円の
    工学コンサルティング料
    で収入を得た。
  3. 日本だけでなく、米国、中国、韓国の経営コンサルティングも行った実績がある。
  4. 連続、速筆により200冊の本の出版し続けてきた。このため大企業の関係表では固定読者が多い。今までの本の出版部数は10万に達した。
  5. GoogleやAmazonで「矢矧晴一郎」のキーワード検索すると、件数が極めて多いことに驚かされる。
  6. 海外の著名な経営者 出会った人の例
    ・IBM ワトソン社長
    ・チェースマンハッタン銀行 
    ロックフェラー頭取
    ・マイクロソフト 
    ビルゲイツ社長
    ・証券メリルリンチ社長
    ・ヒューズ航空社長
    ・中国の国立企業社長
    ・韓国の旧財閥系会長
  7. 日本の著名な経営者で出会った人
    ・ソニー 井深、盛田、大賀
    ・本田  
    本田宗一郎
    ・野村證券 奥村会長
    ・経団連  植村
    ・東急  五島昇
    ・ダイエー 中内
    ・日産自動車 社長
    ・小野田セメント 社長
    ・日本IBM 社長
新製品・新技術・新サービス
新事業の経営コンサル 

上場企業のコンサル実績―
  1. 自動車の新旧製品構成戦略:自動車メーカー
  2. 利益増強の為の収支改革: 自動車メーカー
  3. パソコン制御小型ロボットの開発: 三菱電機。ロボットのハードウェアとソフトウェア
  4. 新経営シミュレーションソフトの開発:総合電機メーカー中央研究所
  5. 通信機器新製品の開発:通信機メーカー
  6. 通信新材料の開発とマーケティング:繊維メーカー
  7. 新精密機器の開発:精密機器メーカー
  8. 同業他社比較による特許戦略:カメラメーカー
  9. 新店舗開発と立地戦略:スーパーマーケット
  10. 親会社依存の開発からの脱却:オートバイメーカー子会社
  11. 新製品売上促進のための販売代理店の全国展開:電力系関連会社
  12. エンジニアリング・マネジメントの確立と技術開発・ビジョン作り:機械メーカー
  13. 新製品候補の絞込みと戦略的市場調査:電子部品メーカー
  14. 事業領域の再構築と新事業開発戦略:医薬品メーカー
  15. 多角化戦略と最先端技術応用の新製品開発戦略:窯業関連メーカー
  16. 企業ビジョン設定に基づく新規事業・新製品開発戦略:電子部品メーカー
  17. 研究開発戦略と研究開発ビジョンの体系化:カメラメーカー
  18. 異業種からの参入対抗戦略:機械メーカー
  19. 最先端技術応用戦略と事業ビジョンの策定:電機メーカー
  20. 情報システム戦略:情報通信機器メーカー
  21. 業務携帯による新事業への参入:鉄鋼メーカー
  22. 成熟市場活性化のための新製品開発戦略:化学メーカー
  23. 主力事業の斜陽化に対する新事業戦略:紙パルプメーカー
  24. 時代先取り未来製品の開発と製品コンセプトの創造と具体化:自動車部品メーカー
  25. 新製品への大規模投資の可否決定:総合商社
  26. 新規開発テーマ探索と評価:自動車部品メーカー
  27. 技術者の技術力のスキルズインベントリーの技術構造分析:医薬品メーカー
YS法を矢矧自身
応用した結果・・・

1、著書数  200冊、累計66万冊。次の目標300冊、計100万冊
2、読書力  1日30冊(和英どちらでも可) 速読、精読、乱読
3、執筆力  1日200枚。 本3日で1冊。 ペンを止めずに流れるように書く。
4、語学力  英語スピーチ、通訳 翻訳、10ヶ国語、23ヶ国語訪問。
国際シンポジウム、 パネリスト、海外視察団団長
5、コンピューター  プログラム本数2000本開発。 
大型機、ミニコン、オフコン、ラップトップ、携帯用化。 プログラミング言語10種。
各メーカーマシーン操作。
日本初のパソコンユーザー、日本のイロハBBSの草分け
6、音楽    演奏可能3000曲、クラシックからポピュラーまで。
楽器10種類演奏。 300の音色、作曲50曲。 
ヘッドアレンジどの曲でも可。 ワンマン、オーケストラ
7、グラフィックス   16百万色をあやつる。ビジネス、グラフィックス。
ビジネス、アニメーション。
新グラフの考案。
8、制御、通信  ロボットの制御、オーディオ、ビジュアル・コントロール。
音声認識、音声合成、パソコン通信
9、経営戦略   製品ポートフォリオ、マネジメントを改良・拡大。
経営資源配分戦略、経営効率向上戦略を考案。 400社。
10、新製品の開発  ロボット、食品、金融業新種サービス、ニューメディアなど
11、数学、統計  多変量解析、予測、計量経済分析、OR、技術予測などの応用多数。
12、速記     自分用の日本語速記文字と英語速記文字を考案して使用。
13、経営者    社長、常務を経験
14、大学講師、 一橋大学商学部、慶応技術大学工学部、早稲田大学工学部。

 
 ここまで読み進めてきて、分かっていただけたと思います。私は、天才でも、超人でもなんでもありません。むしろ、普通以下の凡人だったのです。しかし、私は必ず夢は叶うことができると思っておりました。そして事実、実績の通り、小さいころに誓った、ダヴィンチを超えたと思っております。

 この世にあるすべての書籍に目を通してきてみて、トップNo1の人間と出会ってきた経験からして断言できます特別な人間など存在しないのです。みなそれぞれに、コンプレックスを抱えながらも、大きな志を心に描きながら、諦めず、人よりも何倍も努力をし続けてきただけなのです。

 私は、現在78歳になって、もう好きなものは好きなだけ買えるようになり、欲しいものは自由自在に手に入る自分になりました。好きなときに好きなことをやり、やりたいことをやりたいだけできる自分になったのです。まさに、成功を手にしました。

 しかし、実際にダヴィンチのような最高の人間に近づいたとしても、人の命には限りがあり、このまま大往生して死んでいくのにはあまりにも惜しいと感じました。特に、あの秘密を公開せずして、死ぬのは絶対に後悔するだろう・・と思ったのです。そうです、私はトヨタを含むトップ10企業のコンサルをする上で使っていた、「ノウハウ」を全て公開することにしました。

 あなたは、もしかしたら、いくら78歳の翁であろうと、きっとまた「自己啓発の話」や、「目標達成の話」を思い浮かべたかもしれません。似てはいますが、私の話す内容は、まったく違います。何が違うかというと、トップ10企業で実際に試してみて売り上げが上がったことはもちろん、一流の人間にしか公開しなかったある「ノウハウ」なのです。このとおりにやれば97.9%、夢が達成できる方法です。誇大ではありません。

 今までは、超一流といわれる人間としか付き合わず、その人たちにしかお伝えしてこなかったこの「ノウハウ」を一般の方でもすぐに簡単にできるように、100%公開する決意をしたのです!


 私が今回、大不況を克服するための秘策をあなたに伝授したいのですが、 その内容は次の通りです。


矢矧晴一郎 Part

《大成果(アウトプット)必達勉強法》

-効率を上げた実例とノウハウ-

1.あなたの勉強法はインプット型? アウトプット型?

(1)インプット型勉強法の短所
(2)アウトプット(成果)型勉強法の長所
(3)インプット型からアウトプット型への格上げ

2.短中長期の3つの勉強法の実例

(1)短期成果(アウトプット)必達の実例・・・読む
本を多く読んでも、成果がない・少ないのは何故か?
本を少なく読んで、成果を大きくした実例

(2)中期成果(アウトプット)必達の実例・・・経営戦略
仕事を覚えても、成果がない・少ないのは何故か?
仕事を覚えてから、成果を次々に大きく出した実例

(3)長期成果(アウトプット)必達の実例・・・自己オリンピック
生き長らえても、成果がない・少ないのは何故か?
生き長らえるほど、成果を続けて大きく出した実例

3.悪い勉強法と良い勉強法の差を視覚化すると?

(1)悪い勉強法のビジュアル化・・・左下で泥沼の悪循環
(2)良い勉強法のビジュアル化・・・左下から右上へジェット機の急上昇



さがわあつし Part

さがわあつしが教える
《起業のための勉強と心づもり》

勤めながら起業をするにはさまざまな勉強と準備があります。
起業を考えているあなたには避けて通れないステップもあります。

 

Remote Viewer : さがわあつし先生

さがわあつし先生

さがわあつし  1950年 愛知県生まれ。
英国系商社に勤務し、86年同社の日本代表に就任。88年に独立して会社を設立。南米パルプメーカーの日本代理店を勤める。
アメリカでリモート・ビューイングをFM・ボンザルから修得。その後FM・ボンザルの師で、アメリカ陸軍遠隔透視部隊の作戦指揮官を務めたエド・デームズ、そしてリン・ブキャナン、ポール・スミスの知己を得る。

 貿易業務に携わる傍ら、「直感」「リモート・ビューイング」など各分野で、執筆、メールマガジンの発行、セミナー活動などを行っています。経営者の立場から、経営者向けのリモート・ビューイングに特に力を入れている。

最近は直感に従うことで不思議なことを自身含め多くの生徒らが体験することで、リモート・ビューイングでいいことが起きることに着目している。

著書に『RV』(ぜんにち出版)、『超右脳先見力』(ロングセラーズ)、『3秒でいい決断ができる!』(あさ出版)。


RV(リモート・ビューイング)
(ぜんにち出版)
超右脳先見力
(ロングセラーズ)
3秒でいい決断ができる!
(あさ出版)

 

どんな勉強をしたらいいのか?
どんな準備をしたらいいのか?
どんな心づもりが必要なのか?


そして上記の項目に新たな課題があります。


1.起業する分野は? まったく新しい分野に飛び込もうとしていますか?
2.起業する分野のことは知り尽くしていますか?
3.必要な人脈は築いていますか?
4.具体的なイメージを持っていますか?
5.会社を辞める決心はつきますか?
6.しばらく収入がなくても十分な蓄えがありますか?
7.状況が悪くなっても心が折れないで頑張れますか?
8.不安とどう向き合うか、あなたなりの方法を持っていますか?
9.人に頼らないでやっていけますか?
10.何よりも、すべての責任を一人で負えますか?

あなたに合った、起業に役に立つ方法がいくつか見つけられるセミナーです。



福田亘位 Part

《ネットビジネス実践勉強法》


全脳アフィリエイター : 福田亘位先生

福田亘位 福田亘位  1966年2月生まれ。

2004年12月人生のどん底期に生まれて初めて5年間の目標を紙に書く。
2005年10月に目標通りネット業界に参入。
以来、各ネット起業塾に通い、複数のノウハウを組み合わせて2006年7月に「福田式」というメルマガスタイルを考案。
OL・主婦などに個別指導したところ、7割が月30万円を達成。
その後、各塾でノウハウを公開し、月100万円以上を 達成する塾生が続出。
さらに、福田式を研究して、数千万円の利益を得たネット企業家が続出する。
2007年3月にさがわあつし氏、4月に矢矧晴一郎氏と出会い、「90日間ネット企業家養成プロジェクト」を開催し、参加者全員月100万円以上を達成。
2007年10月にYS法SNSを立ち上げ、目標達成のYS法、和風米国マーケティングなどの普及に力を注いでいる。 2008年5月には独自のアフィリエイトセンター、インターネットコネクターセンターを立ち上げ登録者は10000人を超える。
現在は、「億万長者研究会」、「YS法研究会」「目標達成SNS」「ワンランチマーケティングセンター」「インターネットコネクターセンター」「動画マーケティング研究会」「目標達成SNS」など複数のネット・コミュニティーを運営


ネットビジネス基礎知識の学び方
最新のネットビジネス知識の情報源は?
e-Bookと書籍の違いは?
知識と行動と成果の関係
インプットとアウトプットの関係






 まず、良いニュース からお話します。

 このセミナーで公開される情報は、日本の実業界の常識を覆す程の内容となっています。今まで、ちまたで流れていたような内容は一切含まれていません。あなたが聞いたこともみたことも、想像もしたこともないような儲けの秘密を惜しげもなくすべて公開するつもりです。

 中には、あなたが想像したくなかった極秘ノウハウも含まれています。恐ろしすぎゆえ目を背けたくなるかもしれません。信じられないかもしれませんが、この方法には悪魔のような劇的な効果があります。

 私はハーバード大学・マサチューセッツ工科大学の図書館をすべて丸読みしているだけではなく、78歳である今でも、現役のコンサルタントとして日々勉強と挑戦を繰り返しています。慢心のように聞こえるかもしれませんが、世の中に出回っている情報、経営方法、マーケティング、販売方法、成功哲学、セールス、ビジネス書、小説、漫画、音楽、教材、コース、セミナーはすべて目を通すようにしています。なので、このセミナーで公開される内容は、見たことも聞いたこともないまったく新しいものだと断言できるのです。

 それほど強力な内容を、包み隠さず公開する予定です。この内容は、流行り廃りするようなものではなく、私が30年以上かけて、エジソンのような1万回の実験を繰り返し検証したすべての結果なのです。

 正直に言えば、このセミナーに出席したあなたは、同じくビジネスをしているご友人やライバルから"卑怯者”呼ばわりされることでしょう・・・あまりにも不公平なほどの差をつけることになるからです。

 あなたのライバルが、ちまたで出回っている情報を安易に信じ、いつまでも儲けを得ることができず愚痴をこぼしているのを横目に「矢矧&さがわ」の秘密を手にしたあなたは、ご友人やライバルに圧倒的な差をつけこっそり儲け続けることができるのです。

 しかし、ここで 悪いニュース をお伝えしておかなければなりません。

 実はこのセミナーは「2つの約束」をしてくれる方のみにしかご用意しておりません。4つでも、1つでも、ありません。2つの約束をしてくださる方だけです。今後、この約束が増えることもありません。なぜ2つなのか?・・・と、疑問に思うかもしれません。


 このセミナーを申し込むかどうかを考える前に、あなたは以下の2つの約束を守っていただけるかどうか考えてもらう必要があります・・・

約束1: このセミナーに含まれている秘密は、超一流企業の売り上げを何倍にもしてきた黄金律です。手に入れたい上は、絶対に使用して、今の悩みを確実に解決してください。

 このセミナーは今まで誰も公開した事の無い、反常識ではあるが効果的なビジネスの考え方、売り上げのテクニックをステップーバイーステップで全てさらけ出した内容ですので、使用する人間によっては、危険な程の結果を出してしまう恐れがあります。

 なので、社会的に見て、絶対に悪い事には使わない事を約束してもらわなければなりません。もし、人の為にならない、ゴミのような商品を売るために私が公開するテクニックを使うつもりであれば、絶対に申し込まないで下さい。

約束2: 行動力があること

 セミナーは、本当に売り上げを上げて、少しでも自分自身を成長させ、その自分の力によってより多くの人のためになりたい!と思っている方にお教えしたいのです。行動のできない、やる気のない人たちにこの限られたノウハウを渡してしまうと、本当にやる気のある人、必要としている人たちにとって、とても迷惑なことになります。

 行動するつもりのない人は、絶対に申し込まないでください。やる気のある人たちだけに、すべてのノウハウを伝授するつもりです。

 もし、以上の約束に1つでも守れないものがあれば、残念ですが、いますぐにこのページを閉じてください。約束を守れない人にこの30年の研究から生まれた秘密を提供するつもりは毛頭ありません。以上の約束を必ず守れる!といえる人だけ手紙を読み進めてください。

 今までトップの人たちを何人、見てきましたか?何人のトップに、本当に儲かる方法を教わりましたか?2人ですか3人ですか?それとも、トップに教わったことはないかもしれませんね。

 世間にあふれかえっている情報で、実際に勝利し成功した人によって提供されている物はどれくらいあるのでしょうか?本当に成功した人によって提供された情報に、キレイごと抜きで、商売の汚い部分も含めすべての秘密を公開された物はどれくらいあるでしょうか?

 私は、恥ずかしながらも天才だといわれますが、小さいころはどん底であり、大病にもかかりました。しかし、ひたすらな努力と「ある秘密」を開発してからは、運命を変えることが出来たのです。

 キレイごと抜き、机上の空論抜きで、ビジネスの世界の汚い部分もすべてあなたに公開する決意をしたのです。約束だけは守っていただきたいのですが、それでもまだ私にとってはリスクの高いものなのです。

 このような情報、ノウハウ、テクニックに私はいくらの価値をつけるべきなのでしょうか?運命をかえ、あなたの人生を劇的に変革させるだけではなく、一流の企業のように4倍以上の売り上げを上げることができるこのセミナーはいくらの価値があるとあなたは思いますか?

 もし、私をコンサルタントとして雇えば、半年で5000万円、一日のコンサルで150万円チャージします。プラス上がった売り上げの一定の歩合をいただきます。私の知っている、そして実際に使っているテクニックのすべてを公開するのですから、最低150万円はチャージしてもフェアだと思います。

 私がこの30年間、ひたすら秘密にしてきた貴重な方法、どん底だった私の人生を変えた本当に結果のでるテクニックやノウハウを安く提供するつもりはありませんでした。当然です、この方法をつかって一流の会社のコンサルタントをしているのですから。最初は39800円で公開しようと考えていました。

 しかし、私は現在78歳、あとどれくらい生きられるかもわかりません。現在お金がない人、そしてまだこれからの人にも平等に私のノウハウを提供したいと思ったので、このセミナーは、たったの5000円であなたに提供しようと覚悟しました。

 そうです、5000円です。

 あなたは5000円と聞いて、「いったい、矢矧はどうしたのか?」「頭でも狂ってしまったのか?」とお思いになるかもしれませんが、この秘密を公開することは私の人生の最終章であり、遺言なのです。今回、このサイトに出会ったことは運命であり、チャンスであると思ってください。普通に考えて、トップが5000円でセミナーはしません。私は、もう命が限られているため、命からがらの本気なのです。

 

 自由なライフスタイルをエンジョイしているあなたを想像できるでしょうか?あなたの家族、両親、恋人、友人たちがあなたを尊敬の眼差しで見つめている瞬間を想像できるでしょうか?

 好きなときに好きな物を買い、好きなレストランで値段を気にせず注文し、疲れている時はタクシーに気兼ねなく乗り、ふと思い立った時に海外にファーストクラスで旅行にいけるようになったあなたが想像できますか?

 同窓会に出席したときに昔ながらの友人たちに尊敬されているあなたが想像できますか? 海外に別荘を持ち、お気に入りのドリンクを飲みながら海辺で波の音を聞きながら、潮風の匂いを満喫しながら、眩しく、そして暖かい太陽の光を浴びながら何の心配事もなくゆったりとした服を着てリラックスしているあなたを想像できますか?

 大切な人、友人、世の中で困っている人たち、津波で家を失った人たちの助けになれるように大金を寄付してあげる事ができるようになっているあなたを想像できますか?

 このような事は決して夢でも、想像の世界の話でもありません。何の取り柄も無い、凡人だった、そして貧乏な家庭で生まれた、私がで全ての夢を叶える事ができました。

 お金がもたらす人生の… ライフスタイルの素晴らしさ実際に体験してみなければわからないものです。私も今になるまではわからなかったのです。しかし、本当にお金を掴む方法、人生を変えるほどの儲けの秘密を掴んだとき私自身の運命を、ライフスタイルを変えることができました。

 私があなたにできるのは、私が得た全ての成功を、何の取り柄もない凡人が500億のコンサルタントになった方法を教えるだけです。世間で腐るほどはびこっているようなよく言われること、キレイ事の話はしません。まず最初に何をして次にどうやって、そして最後に何をすればいいのか…

 …ゼロから、自由なライフスタイルを掴むまでの具体的な秘密を全てマスターできるようになります。

 運命を変えて、自由な人生を手に入れる事に真剣なあなたは今すぐに決断してください。5000円ですので、飲み会に1度出席する感覚、1回・2回食事にいく値段です。あなたに金銭的なリスクは一切ありません。あなたはただ、このノウハウを受け取るだけでよいのです・・・


矢矧晴一郎
矢矧経営研究所 代表取締役

 

追伸1何度も繰り返すつもりはありませんが、重要な事なのでもう一度言います。このセミナーは、まだ誰も耳にも目にもした事がない内容になっています。

なので、本当に運命を変えることに真剣ではない場合は、残念ですが諦めて下さい。自由な人生を手にする事に真剣な人だけに公開したいと思っています。自由な毎日、お金の心配をする必要がない人生を手に入れる事に真剣な人だけに、私がこの30年間培ってきたノウハウを手に入れてもらいたいと思います。

運命を変える事は簡単です。すでに成功している人から具体的な、そして必要な知識を手に入れる事なのです。しかし、行動を起こさないと何も結果は出ません。

真剣なあなたが今起こさないといけない行動は、まずこの秘密の方法を手にいれ、そして、それを忠実に実行するだけなのです。いままでの人生にサヨナラを告げたいあなたは今すぐ私に知らせて下さい。

もう一度言いますが、このセミナーは今、決断する事で後悔はしません、しかし、今決断しない事であなたが得る後悔は大きすぎるのです。


追伸2人生にはいくつかの分岐点があります。決断をしなければならない時があります。たった1つの決断が人生を大きく変えることがあります。

「自分自身の運命は自分しか変えられない。」「決断は最終的に自分しかできない。」「自分の人生を変えたい。」「もう、周りの人間と同じ人生を送るのは嫌だ。」と決断したのです。

一流の会社をやめる決断、妻と一緒になる決断、初めて海外へ飛び出す決断、起業しコンサルタントを始める決断、、皆に危険だと言われていた様々な危険な決断、新しいビジネスパートナーと一緒になる決断、それらをすべて真っ向から受け止めてきたから今の私があるのです。

人より特別な才能があるわけでも環境に恵まれていたわけでもありません。人が恐れる事を誰よりも先にやってきたから成功できたのです。

これからあなたの前にいくつもの困難な決断を迫られる機会が訪れると思います。しかし、本当の成功者に成るためにはそれらに全て立ち向かわなければなりません。成功は他の人が運んできてくれるものではありません。あなた自身が掴むものなのです。

あなたは私が歩んできた苦労をする必要はありません。私が78年かけて得た成功をもっと早く、掴んでもらいたいのです。このセミナーでは、私にもし跡を継ぐ息子がいたら、私が死ぬ前に絶対に教えておきたいと思えるほど重要、真剣な内容をそのまま公開します。私はあなたに全てを引き継ぎます。矢矧とさがわを信じる。という決断をしてくれるでしょうか?

これまで色々な成功者が言っていたことが全て統括されていて、整理できました。

 S・M様

Y S 法に出会えて良かった!これでもう、今日何をしたらいいんだろうと悩むことは一切なくなると思いました。  

S・H様

自分なりの行動指針と完璧ではなくても小さな成功の反復で目標に近づけると、自信がもてるようになりました。 

E・T様

ビジネスだけではなく、身近なことにも使える点が驚きでした!  

T・T

矢矧先生と実際に会えたことが感動しました。運命を感じました。 

匿名

成功のステップを数値化する点がいいと思う。なるほど~~!と思いました。 

匿名

これでもう目標達成に失敗することはないと思いました。確実に進めそうです。   

匿名

いままでもやもやされていた、自分自身の悩みと目標が霧が晴れるようにクリアになりました。なんでいままで自分は、やらなかったのだろうと、後悔しました。   

匿名

YS法の前向きな考え方、先生の生き方がこれからの自分の人生に役に立つと思いました。

菅井浩二様

矢矧先生から物事の見方の本質を教えて頂きました。本質をつかむことの大切さを教わりました。本当に「スゴイ」先生だと、ただ圧倒されました。  

匿名

矢矧先生の考え方、生き方、話し方、価値観に触れて、偉大な人はこういうことを考えるのかと、とても勉強になりました。とても面白かったです!    

匿名

矢矧先生のQ & Aがとても役に立ちました。

M・K様

「夢の成功に年齢は関係なし」  

S・I様

一言でいえば「子供たちに夢をもたらすことができるすばらしいツール。」  

主婦 匿名

実際に会ったことによって矢矧先生の人柄の良さが伝わりました。 

Y・M様

現在63歳でそろそろ現役をやめようと考えていたのですが、矢矧先生に刺激を受け、もう少し頑張ろうと思えた。  

S・T様

日本を元気にすることができると思います。

吉川正弘様

子供に「YS法の考え」を伝えることがとても重要だと思った。なぜなら、自分たちが迷っていた悩みの答えがここにあったから。  

匿名

自分の身近なところからできることをはじめようと思った。いままでのできなかった理由があまりにも明らかになったので、悔しささえ覚えました。 

T・H様

改めて「生きることの重要性」を再認識させられ考えさせられました。今の自分に何が出来るだろうと思い考える時間が出来ました。ありがとうございます!  

Y・S様

一生の夢をもつことの素晴らしさを知りました。どんなつらいことがあろうと、人間にできないことはないんだと、改めて確信いたしました。  

匿名

父親として子供への接し方、教育方針のアドバイスをもらい、参考になりました。

尾藤陽二

物事を単純に考えあまり難しくしないことが大切だと気付きました。

匿名

矢矧先生の常に改善し、改良されている習慣を直接聞けたことがよかったです。常に改善し続けることの大切さを知りました。

匿名

矢矧先生のように、どんなことがあっても諦めず努力し続けます!やっぱりそれが王道です。 

匿名

夢をかなえるために、成し遂げるためにどうしたらよいかが明確になりました。夢をなしとげるための勇気と希望をいただきました。 感謝しております。

匿名

ビジネスにとても活用できると思いました。今日から、少し応用してみようと思いいます。 

会社経営者 M・Y様

講演会聞いている間に、書籍の企画が浮かびました。 矢矧先生の話はきいているだけでものすごい気づきがあります。

R.・T様

目標を決めて前に進むだけでだめで、積み重なる行動をすることが大切なのだと理解しました。

匿名

「失敗の中からしか教訓はうまれない」 その通りだと思った。 

匿名

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ビルゲイツ・孫正義をうならせた
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